スシゴコロ ~寿司とSUSHI~

寿司をもっと世界に広めたいと願う料理人の思うこと

「堀江貴文 VS. 鮨職人 鮨屋に修行は必要か?」を読んで思うこと

わたしがお世話になっているすし学校ですが、メディアにちょこちょこ取り上げられることがあります。特に堀江さんが各方面の媒体で「すし職人になりたければお店で修行よりも先ずは学校に・・・」といった発言をされますと、学校への問い合わせが急に増えたりします。数多あるすし学校にとって、堀江さんはとても影響力がある方です。

 

学校でもフリーランスの仕事でも、いつも外国人とだけしか接していないわたし個人にはあまり関係がないので少し残念ですが、すし業界全体の発展のためにも堀江さんにはどんどんこの類いのメッセージを世に送り続けて頂きたいですね。今後ともどうぞよろしくお願いします!

 

そんな堀江さんが最近出版された本が冒頭の「堀江貴文 VS. 鮨職人 鮨屋に修行は必要か?」です。とても斬新な切り口で今の時代のすし業界に投げかけるアンチテーゼです。

 

堀江貴文VS.鮨職人 鮨屋に修業は必要か?

堀江貴文VS.鮨職人 鮨屋に修業は必要か?

 

 

全体的な感想としましては、すし職人に修行が必要かどうか?が論点と言うよりも、堀江さんと親交のある30代~40代の若手すし職人たちとの対談をまとめた本で、今の時代のすし職人の在り方や成功の秘訣等々が記された一冊といった方が良いでしょうか。お決まりの「ドヤ顔」で一躍有名になった照寿司の大将も掲載されていて、まさに新進気鋭の職人さんたちばかりです。

 

 

でも、こういった切り口はとても堀江さんっぽいと思います。すし業界に向ける目線が完全にお店に行くお客さんの目線になっています。お店を経営する側からすれば、名店と呼ばれる店で厳しい修業を積んだ職人が握るすしこそがお客さんに喜ばれると思いがちですが、今すし屋に来るお客さんは職人達よりももっと情報収集に長けていて、今の時期は何処産の何々がおいしい、どこそこのブランド魚が絶品!といった感じで、技術も大切ですが先ずは食材の良さを第一に求めているのが現実です。

 

また、接客能力は今の時代において一流のすし職人が身に着けるべき必要不可欠なものとも言っています。ネタは新鮮で当たり前、新鮮なネタを使えば美味しくて当たり前、となれば、次に問われるのが接客力です。カウンターのみの高級すし屋ともなれば職人とお客の距離を隔てるものは殆どなく、職人は舞台の上に立つエンターテイナーと化します。そこで真顔でただ黙って握るだけでは良い接客とは言えない時代になってきています。

 

お店によってはこの魚は何処産の何々で、こういった仕事をしてお出ししていますと、一貫一貫丁寧に説明してくれるところもあります。そんな巧みな話術と共に、お客さんは職人のすしを握る所作の美しさや人柄、為人に魅せられていくのです。美しい所作や美的感覚を身に付けようと、茶道や生花、書道を嗜む職人さんもいます。お店での厳しい修業でそういった話術や所作を磨けるのかと言えばそうではありませんので、堀江さんの言うスナックなどで働いて接客を学ぶ・・・というのも極論ではないなと、個人的には同意できます。

 

すしの世界には「シャリ炊き3年、握り8年」なんて言葉があり、それを信じて疑わない下積み原理主義者みたいな人たちがまだまだいっぱいいます。なので、どうしても長い修業が必要という結論になってしまいがちですが、結局のところ、すし職人として成功するには自分を磨くある一定の時間が必要・・・、というのは否定できないところだと思います。お客を楽しませる人間力、より良いものをお出ししようと常にチャレンジする反骨心、時代のニーズを読み取る嗅覚など、すし職人に限らず、あらゆるビジネスの世界において成功している人とは、現状に満足せずに常に向上心を持って長期的に物事に取り組んでいる人です。

 

今のすし業界は古いしきたりと新しい価値観が並存している時期で、そこから次の世代に合った新しい形が生まれ、最終的によりグローバルでより幅広い層から支持されるものだけへと淘汰される・・・。すし業界は、そんな進化の過渡期にあるのだと考えさせられます。いずれにせよ、努力なしには成功はないですし、また、その近道もないということを肝に銘じなければいけないと、わたし個人にとってはそんな自戒をする良い機会を与えてくれた本です。

 

最後になりましたが、この本に登場する8人の店主の中に以前のブログでご紹介した「はっこく」の大将が出てきます。すし学校の生徒さんがお世話になっているお店ですので、再度、この場をお借りしてご紹介させて頂きます。本日も最後までお付き合い頂きありがとうございました🍣

 

はっこく

食べログ はっこく

 

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外国人生徒さんの特長 ~イタリア人編~

皆さんは民族ジョークというのをご存知でしょうか。色々な国の国民性を端的に表すような話で笑いをさそうジョークのことです。以下がその主な例です。

 

この世の天国とは、料理人はフランス人、警察官はイギリス人、技師はドイツ人、銀行家はスイス人、愛人はイタリア人。

 

その反対にこの世の地獄とは、料理人はイギリス人、警察官はドイツ人、技師はフランス人、銀行家はイタリア人、愛人はスイス人。

 

いかがでしょう、皆さんが思うそれぞれの国の国民性と合致したでしょうか。

 

沈没船ジョークなんていうお話もあります。

 

沈没しかけた船に乗り合わせる様々な国の人たちに、海に飛び込むよう船長が説得をします。

 

アメリカ人には「飛び込めばあなたはヒーローになれます」

イギリス人には「飛び込めばあなたはジェントルマンになれます」

ドイツ人には「飛び込むのはルールです」

イタリア人には「飛び込めばあなたは女性からモテモテになれます」

日本人には「みんな飛び込んでますよ」

 

愛人としては最高だが、銀行家には向いていない、女性がらみのジョークが多い、そんなイタリア人の生徒さんのお話を今日はしてみたいと思います。

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イタリアからやってくる生徒さんは皆往々にしてとてもユーモラスで明るいです。彼らがしゃべるイタリアン・アクセントの利いた英語なんかは良くジョークのネタになりますが、生徒さんの中にもたまにいるので聞き取りにいつも苦労します。

 

強烈なアクセントに加え、語尾手前の母音を必要以上に~~~!と伸ばすのはとても聞きづらいです(マンマ・ミ~~~ヤみたいなやつです)。でも何故か聞き慣れるとちょっと癖になってこっちもマネしたくなるのが不思議です。

 

そんな彼らが日本に来てとてもビックリすることの一つに「場所取り」があるそうです。よくカフェなどで自分の荷物を空いている席に置いてから飲み物をオーダーをしたりしますが、この「荷物を置いて席を離れる」という行為がとても驚きのようです。 

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なんでもイタリアでは自分の荷物から10秒以上目を離してはいけないそうで、その場から席を離れようものならアッという間に置き引きの被害に遭うと言います。確かにイタリアはあまり治安が良くなく、特に観光名所では置き引きに注意しましょう!と聞きますが、10秒ってそれはさすがにちょっと大袈裟なんじゃない?と思ってしまいます。

 

そんな疑問を投げかけると彼らは決まって「いやいや、イタリア人を信用してはダメですよ!」と言われます。いや・・・、そう言われましても、そう言うあなたもイタリア人なんですけど・・・と、相槌を打って良いのかどうか困ってしまいます。

 

そんなイタリア人の生徒さん達ですが、こと授業の呑み込みの早さについては他の国の生徒さんに比べて断トツで優れています。もともと料理経験者が多いのもありますが、彼らの食に対する嗅覚と言いますか、そのセンスにはいつも並々ならぬものを感じます。イタリアはファッションでも有名ですが、食に関するセンスもまた飛びぬけて良いものがあり、料理の盛り付けなどは教えている側のわたしが逆に色々と学ばせてもらうことがよくあります。

 

いつも明るくてユーモラス、町で素敵な女性とすれ違ったときは必ず足を止めてその後姿をチェックする彼らはとても愛すべきキャラクターです。これからも数多くのイタリア人生徒さん達と面白おかしく授業をしていけることを楽しみにしています。本日も最後までお付き合い頂きありがとうございました🍣

 

「インバウンド」っていったい・・・

先日、日本政府観光局(JNTO)が発表した1月の訪日外国人客数(推計値)ですが、前年同月比7.5%増の268万9400人、1月としての過去最高を更新したそうです。春節旧正月)前で中国や台湾からの観光客の伸びが目立ったようです。

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 そこで、ここ数年良く耳にする「インバウンド」という言葉、そもそもの意味は理解していますが、その使われ方がなんかこう・・・どうにもしっくりこないんです。「インバウンド」っていう言葉の響きだけが先走って我々日本人だけが理解する和製英語になっている感がとてもあります。

 

「イージー・ミス」みたいな、間違った表現だけど言いたいこと分かるでしょ?だからついつい使っちゃう、みたいなモヤモヤっとする言葉です。はい、やはり同じことを思った方がいました!思った通り、外国人には伝わらない独自の表現という結論です。

 https://www.smart-menu.jp/news/the-term-inbound-in-japan/

 

 

モヤモヤが無事解決・・・となれば良いのですが、実はこの「インバウンド」という言葉、わたしの仕事的にはこれから先もずっーと使わなければいけないであろうやっかいな単語です。

 

わたくし、日本にやってくる外国人の皆様に寿司・和食をご紹介する「日本料理インストラクター」として様々な活動をしております。お会いする外国人の皆様との会話の中で、この「インバウンド」という言葉を何度か使ってみましたが、往々にして彼らの顔には「?」が浮かんでしまいます。

 

日本ではこの「インバウンド」に関わる事業のことを「インバウンド・ビジネス」と銘打っておりますが、この「インバウンド・ビジネス」も外国人の方々にはまた新たな「?」です。一体なぜそうなってしまうのか考えてみました。

 

 

そもそも、この「インバウンド」(英語:inbound)という言葉の原義は「外から中に入る、内向きの」で、対義語が「アウトバウンド」(英語:outbound)です。空港なんかにいきますと、海外に出ていく国際線が「アウトバウンド」、日本に戻ってくる帰国便が「インバウンド」となります。そう、帰国便が「インバウンド」なのです。

 

ここでわたしが重要に思うのが、この言葉の主語が何なのか?です。本来の意味は外から中に入ってくるです。外は誰の外なのか?ということです。外は内にいる人にとっての外ですから、日本にいる人が外に出て、帰ってくる行動が本来の「インバウンド」の意味になるはずなのです。

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しかしながら、いま日本で使われている「インバウンド」の意味、その対象となる主語は外国人観光客です。外からやってくるという意味合いは間違っていませんが、彼らはもともと外にいる人たちです。彼らは国際線「アウトバンド」の飛行機に乗って日本にやってきます。そんな彼らにとって「インバウンド」とは、日本を出て母国に帰る飛行機やその行動を指します。

 

 

では日本人が「インバウンド」の主語になった場合はどうでしょうか?先ほど帰国便という表現をしましたが、日本からどこかの国へ出かけ(アウトバンド)、日本に帰ってくる行動(インバウンド)となります。外国人が主語になった場合、日本人が主語となった場合のどちらでも、今世間で言われるところの「訪日外国人観光客」=「インバウンド」という図式になりません。

 

ここからはわたしの推測ですが、日本や日本人から見て訪日外国人観光客が「外から内に入ってくる」、その行動や方向性だけを表現して「インバウンド」という言葉に間違ってたどり着いてしまったのではないでしょうか。

 

和製英語もカタカナ英語も英語に触れる機会として素晴らしいツールですので全てを否定するつもりはありません。多分、企業やマスコミがあまり馴染みのない言葉をそれっぽく、聞いた人々にはカッコ良く聞こえたので広まっていったのでしょう。

 

2015年には流行語大賞にもノミネートされましたので、世間的には十分に市民権を得たと考えるべきです。ただ、使い初めのころにマスコミやどこかの企業が1回でも英語がネイティブの人にチェックを入れてもらう配慮や慎重さがあっても良かったのかな?と、ちょっとだけ残念に思ったりもしています。

 

 

2020年の東京オリンピックパラリンピック開催がそんな「インバウンド」のピークになると予想されます。皆で協力して和製英語やカタカナ英語の増殖を防ぎ、良い「OMOTENASHI」ができると良いですね。

 

もしくは、この「INBOUND」に、かつての「WALKMAN」のようなガッチガチの和製英語を、全世界にゴリゴリと広める力が存在すればまた違った見方が出てきそうです。本日も最後までお付き合い頂きありがとうございました🍣

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外国人生徒さんと和包丁

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外国からやってくる生徒さんの中で和包丁に並々ならぬ興味を持っている人がいます。日本語でいうところのオタク、英語で言いますとフリークですね。そんな包丁オタクの外国人生徒さんは学校にご自慢のコレクションを持ってやってきます。日本人の料理人でしたら各自お気に入りのブランドで揃えるのが一般的ですが、外国人の生徒さんはブランドよりも見た目にこだわる人が多いですね。刺身包丁なら普通の「柳刃」よりも「蛸引き」、更には「先丸」や「切付」等々、他とはちょっと見た目が違うところに興味を持ちます。素材でいうと白紙か青紙、その構造と焼き入れの仕方で本焼きや霞などがありますが、そういう難しいお話はナシにして、見た目がクールなダマスカス鋼を好んだりします。

 

例えばこんな感じ↓ 

 

 料理道具と言えば合羽橋ですが、近年では外国人の観光客が多くみられる様になりました。英語や中国語、中にはフランス語対応のお店も出てきてもはや立派な観光地ですね。浅草に近く利便性が高いのも人気の秘密でしょう。オススメは「良い道具には良い理(ことわり)がある」をモットーにされる釜浅商店さんですね。包丁を始め、色々な料理道具が揃いますので、すし学校の生徒さん達がいつも大変お世話になっています。

 http://www.kama-asa.co.jp/

 

しかしながら、すし学校の生徒さんの大体は包丁のことが良く分からない人たちです。そこで学校ではオススメの包丁をセットで販売していますが、一番大事にしているのがその使いやすさです。よく「じゃぁ実際のところ、どんな包丁が良いの?」と聞かれるのですが、包丁は使い手に合ってこその道具ですので、その人の技術や力量に合わせてオススメするように心がけています。メインテナンスのしやすさも大事な点です。鋼の包丁は水やお酢に触れると直ぐに錆てしまいます。そこで特に初心者にオススメなのが銀三と呼ばれるステンレスの包丁です。錆に強く、手入れが格段に楽です。実際の切れ味は白紙や青紙には劣りますが、そういった切れ味を求めるのはある程度技術が上達してからで良いと思います。 

 

 例えばこんな感じ#2↓

兼松作 銀三鋼 柳刃庖丁 24cm

兼松作 銀三鋼 柳刃庖丁 24cm

 

 

メインテナンスの一つに研ぐ作業がありますが、これがまた初心者にはとても難儀でして、研ぎをマスターするには結構な時間がかかります。最初はなかなか上手く研げませんので、先の方の形を変えてしまったり二段刃にしてしまったりなど失敗が多くなります。どんな料理の達人でも、初めて使った和包丁の1、2本は上手く研げずにダメにしてしまうものなのです。そんな初心者の生徒さんたちに10万円以上もする白紙の本焼きなどは到底オススメできません。先ずは自分に合ったサイズ、柳刃でしたら8寸24センチ、素材は銀三でお値段は2万円以下のもので十分と思います。「銀三は切れ味が悪い」という料理人さんがいますが、確かに出始めの頃は粗悪品もあり評判は良くありませんでした。でも、それはもう随分と昔の話です。改良が進み、切れ味の良い銀三の包丁が数多揃っています。もし和包丁に興味のある方は是非この銀三の包丁を入り口に和包丁の世界に入って頂きたいと思います。本日も最後までお付き合い頂きありがとうございました🍣

 

外国人生徒さんとスタージュ

最近、すし学校にやってくる生徒さんから「日本でどこか寿司・和食店で働けるところを紹介してほしい」という要望が増えています。彼らの多くは既に自国でシェフとして働いており、学校の授業では得られない「実際の現場」を体感したいという思いです。このリクエストなんですが、わたしや学校のスタッフがいつも大変困ってしまうことの一つです。

 

彼らは実際の現場に入るという体験を得たいのが目的ですので、給料をもらおうという気はさらさらありません。西洋料理、特にフランス料理界で脈々と受け継がれている「スタージュ」という職業研修の感覚です。無給とはいえ、その研修先を見つけて紹介することはなかなか出来ない難題なのです。

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今まであまたの日本人料理人がフランスを始めとしたヨーロッパの国々へ料理の修業に旅立ちました。ミシュランの星付きの名店などは誰かの紹介なしではまず雇ってもらえませんので、大体はこの無給研修の「スタージュ」をお願いする流れになります。もしその研修期間で技術を認められれば正規契約を打診され、晴れて給料がもらえるようなります。

 

しかし1店舗目の研修先で直ぐに正規契約になることは先ずないでしょう。2店舗、3店舗と渡り歩き、1年ほどかけてようやく正規契約がもらえるのが一般的です。すし学校にやってくる生徒さん達も、初めは皆この「スタージュ」で料理の世界に入り、色々なお店を渡り歩いて経験を積んでいった人たちが多いです。

 

そんな西洋の料理の世界ではごくごく一般的な「スタージュ」ですが、いざ日本に置き換えてみますとなかなかうまく当てはまりません。昔風にいうと丁稚奉公が思い当たりますが、無給という訳ではなくちゃんと給金がありました。そもそも丁稚は一つのところに長く務めるものですので「スタージュ」とは性質が違います。学生時代、就職前にお目当ての企業で経験を積ませてもらうインターンシップも、先ずもって有給のお仕事です。

 

料理人の世界にも「包丁一本さらしに巻いて~♪」なんて歌がありましたが、あれは職人が色々な店を渡り歩く修業のお話でこれも有給です。あれこれと考えてみましたが、完全に無給で「現場で働く経験のみが対価」というのは無いんですよね。日本の文化の中で手に職をつけるというのは徒弟制度であり、親方が弟子を取る・・・、やはりこのイメージが一般的です。

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すし学校にやってくる生徒さん、給料なんていらないから働かせてくれる店を紹介して!と言われましても、受け入れ先のお店が弟子を取るイメージで身構えてしまうので、なかなか紹介までに至りません。もちろん言葉の問題で「コミュニケーションが取れないから無理!」とお断りされるお店も多いですが、弟子を取るイメージで預かる側の責任まで深く考え過ぎてしまうケースが多いと感じています。

 

ちょっとでも興味のある方にはもう少し気楽に考えて頂いて大丈夫ですよ、とお伝えしたいです。仕事も食器下げや皿洗いから始めてもらい、もし見込みがあれば魚や野菜の仕込みを任せてみる。学校に通っている間だけですのでせいぜい2か月間が限度ですから、最後に少しだけでも実際にお客さんと接する機会があればもう十分です。もしお店に外国人のお客さんが多く来られるのであれば、どんどんホールに出て行ってもらうと良いでしょう。仕事は何でも良いのです。「スタージュ」を求める生徒さん達には見るもの全てが新しく、貴重な体験となるのですから。

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そんな生徒さんたちを受け入れてくださるお店がほんの一握りですが存在します。わたし達にとっては本当にありがたいことです。最後になりましたがそのお店をご紹介して終わりにしたいと思います。もしこのブログを読んで外国人生徒を受け入れたい!という方がいらっしゃいましたら是非お知らせください。今日も最後までお付き合い頂きありがとうございました🍣

 

はっこく

食べログ はっこく

 

世界に外国人寿司料理人を! ~その弐~

世界中で外国人の寿司料理人・和食料理人がどんどん活躍の場を広げています。寿司・和食の真の国際化とは、外国の料理人たちが寿司・和食を日本で学び、その技術と知識、精神と習慣を受け継いで、世界で活躍することだと考えています。

 

sushigokoro.hatenablog.com

 

海外にある日本料理店で学んでもいいじゃないか、という意見もあるかと思いますが、わたしはそれはちょっと違うと考えます。寿司・和食は日本で生まれた食の「文化」ですので、「文化」を学ぶということは日本を学ぶということです。日本を学ぶには日本にいないとできない事が多くなりますので、ここはやはり日本に来て学んでほしいと思います。

 

すし学校の卒業生、アメリカ・ニューヨーク出身のデイビッドさん。彼は2年ほど前に「寿司4週間・和食4週間」というコースを受講し、優秀な成績で学校を卒業されました。そんなデイビッドさん、昨年の1月に農林水産省主催の外国人による日本料理コンテスト「第5回和食ワールドチャレンジ」で見事優勝されました。コンテストのテーマは


①昆布と鰹節のだし汁をつかった煮物椀

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②煮物、焼き物、揚げ物、和え物などから5品以上を縁高に盛る

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と、正統派の日本料理で競う本格的なものでした(上の写真はデイビッドさんが実際に作った料理です)。どちらも素晴らしい作品ですね。デイビッドさん、本当におめでとうございます!

 

和食ワールドチャレンジ」詳しくはコチラ↓

http://washoku-worldchallenge.jp/

  

一昔前、1960年代後半ころからアメリカで日本食レストランがオープンし始めましたが、寿司ブームが起きたのは1970年代後半と言われています。その仕掛人と言われる金井利年さんがロサンゼルスでお金持ち相手に寿司を食べるライフスタイルを広め、場所をニューヨークに移した1980年代に爆発的に広まっていきました。寿司ブームと言いますが、当時アメリカ人のお客さんが食べていたのはカリフォルニアロールなどの巻物で、そのスタイルは今も変わっていないのが現状です。

 

1990年代後半から2000年代にかけてはいわゆるフュージョンと呼ばれるスタイルが巷を席巻し、NOBUを始めMORIMOTOやZUMAといったレストランが大いに賑わいました。わたしがアメリカにいたのがまさにこの時期で、お店のカウンターに外国人のシェフが増えたのもこの頃からです。その反動からか、2010年代に入ると寿司の本格志向化が起き、昔ながらの江戸前寿司を継承する日本人寿司料理人がアメリカに渡り、今もその普及に努めているという流れになっています。多くは「おまかせ」コースを主体に、築地(今では豊洲)から毎日届く魚を使って、日本で食べるのと同じ品質をうたうお店が多いです。

 

NOBU TOKYO

食べログ NOBU TOKYO

 

日本から仕入れた食材を使っての本格志向は良いのですが、それを日本から来た日本人の料理人がする・・・というのは、わたしはもう時代遅れと考えています。冒頭にも書きましたが、寿司・和食の真の国際化は外国の料理人たちが主役となって世界に寿司・和食の素晴らしさを広めてくれることです。日本人の料理人が日本の食材を使って作る寿司・和食がおいしいのは当たり前です。そこには何の新しい感動もないですし、未来に繋がる創意工夫も感じられません。外国人の料理人たちが寿司・和食を学び、彼らが「これだ!」と思う形に昇華されていくことこそ、これから日本料理が真に国際化される道であり、その素晴らしい未来へと繋がると思います。

 

フランス料理がフランス人だけの手で世界に広がっていったでしょうか?わたしはそうは思いません。今現在、ミシュランの三ツ星を手にしたフレンチの料理人にはアメリカ人やイギリス人、そして我々日本人の料理人もいます。彼らが彼らの国々で「これだ!」と思う食材や調理方法を駆使してフレンチを独自に昇華させたことが評価されているのです。

 

デイビットさんがこれからアメリカで素晴らしい活躍をされ、寿司・和食の素晴らしさを広めていってくれることと思います。そんな彼を陰ながら応援しつつ、「次のデイビットさん」に出会えることを楽しみにしています。本日も最後までお付き合い頂きありがとうございました🍣

カリフォルニアロールとナポリタン

 

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カリフォルニアロールは寿司ではない」とよく見聞きします。シャリを外側にして巻いている時点で「寿司じゃありませんよ」ということなんだと思います。その心情はよく分かります。では「寿司」ではなく、「SUSHI」と考えてみてはどうでしょうか。

 

「寿司」は握りであったり、鉄火巻や押し寿司、ちらしやお稲荷さん。「SUSHI」はカリフォルニアロールなどのロールに始まって、最近ではブリトーやドーナツの形に模したものまで出てきています。こうなると益々「寿司」から遠ざかっていきますね。「SUSHI」は文字通り独自の進化を遂げたと言って良いでしょう。

 

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そこで思うのが日本で創作されたスパゲッティ・ナポリタン。日本で生まれ、今も多くの人々に愛される喫茶店の王道メニュー。 ではイタリアの人たちはそんなナポリタンをどう思っているか。すし学校に来たイタリア出身の生徒さんたち数名に聞いてみましたが、やはり彼らの食する「PASTA」ではないとの答えでした。日本で独自に進化を遂げた「パスタ」ということでしょう。

 

おいしいかおいしくないかも重要ですが、食を語る上でわたしが個人的に大切にしたいと思うことは、カリフォルニアロールにもナポリタンにしても、その創作に携わった人々の食に対する「思い」を感じられるかどうかです。先人たちが苦労して仕入れたであろう数々の食材を「もっともっとおいしくしよう!」と、知恵を絞りだして完成させたその意気込みやらこだわりやらを感じられるかどうかです。

 

わたしだったらアボカドをお寿司にしてみよう、シャリを外側にして巻いてみようとはなかなか思い当たりません。同様に、戦後間もない頃にスパゲッティをケチャップで炒めてみようとも考えつかなかったでしょう。そんな苦労と努力とひらめきがあってこそ、今の世になってもそれぞれがお寿司屋さんや喫茶店の人気メニューになっているのだと思います。わたしはそんなカリフォルニアロールナポリタンが大好きです。