スシゴコロ ~寿司とSUSHI~

寿司をもっと世界に広めたいと願う料理人の思うこと

世界に外国人寿司料理人を! ~その弐~

世界中で外国人の寿司料理人・和食料理人がどんどん活躍の場を広げています。寿司・和食の真の国際化とは、外国の料理人たちが寿司・和食を日本で学び、その技術と知識、精神と習慣を受け継いで、世界で活躍することだと考えています。

 

sushigokoro.hatenablog.com

 

海外にある日本料理店で学んでもいいじゃないか、という意見もあるかと思いますが、わたしはそれはちょっと違うと考えます。寿司・和食は日本で生まれた食の「文化」ですので、「文化」を学ぶということは日本を学ぶということです。日本を学ぶには日本にいないとできない事が多くなりますので、ここはやはり日本に来て学んでほしいと思います。

 

すし学校の卒業生、アメリカ・ニューヨーク出身のデイビッドさん。彼は2年ほど前に「寿司4週間・和食4週間」というコースを受講し、優秀な成績で学校を卒業されました。そんなデイビッドさん、昨年の1月に農林水産省主催の外国人による日本料理コンテスト「第5回和食ワールドチャレンジ」で見事優勝されました。コンテストのテーマは


①昆布と鰹節のだし汁をつかった煮物椀

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②煮物、焼き物、揚げ物、和え物などから5品以上を縁高に盛る

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と、正統派の日本料理で競う本格的なものでした(上の写真はデイビッドさんが実際に作った料理です)。どちらも素晴らしい作品ですね。デイビッドさん、本当におめでとうございます!

 

和食ワールドチャレンジ」詳しくはコチラ↓

http://washoku-worldchallenge.jp/

  

一昔前、1960年代後半ころからアメリカで日本食レストランがオープンし始めましたが、寿司ブームが起きたのは1970年代後半と言われています。その仕掛人と言われる金井利年さんがロサンゼルスでお金持ち相手に寿司を食べるライフスタイルを広め、場所をニューヨークに移した1980年代に爆発的に広まっていきました。寿司ブームと言いますが、当時アメリカ人のお客さんが食べていたのはカリフォルニアロールなどの巻物で、そのスタイルは今も変わっていないのが現状です。

 

1990年代後半から2000年代にかけてはいわゆるフュージョンと呼ばれるスタイルが巷を席巻し、NOBUを始めMORIMOTOやZUMAといったレストランが大いに賑わいました。わたしがアメリカにいたのがまさにこの時期で、お店のカウンターに外国人のシェフが増えたのもこの頃からです。その反動からか、2010年代に入ると寿司の本格志向化が起き、昔ながらの江戸前寿司を継承する日本人寿司料理人がアメリカに渡り、今もその普及に努めているという流れになっています。多くは「おまかせ」コースを主体に、築地(今では豊洲)から毎日届く魚を使って、日本で食べるのと同じ品質をうたうお店が多いです。

 

NOBU TOKYO

食べログ NOBU TOKYO

 

日本から仕入れた食材を使っての本格志向は良いのですが、それを日本から来た日本人の料理人がする・・・というのは、わたしはもう時代遅れと考えています。冒頭にも書きましたが、寿司・和食の真の国際化は外国の料理人たちが主役となって世界に寿司・和食の素晴らしさを広めてくれることです。日本人の料理人が日本の食材を使って作る寿司・和食がおいしいのは当たり前です。そこには何の新しい感動もないですし、未来に繋がる創意工夫も感じられません。外国人の料理人たちが寿司・和食を学び、彼らが「これだ!」と思う形に昇華されていくことこそ、これから日本料理が真に国際化される道であり、その素晴らしい未来へと繋がると思います。

 

フランス料理がフランス人だけの手で世界に広がっていったでしょうか?わたしはそうは思いません。今現在、ミシュランの三ツ星を手にしたフレンチの料理人にはアメリカ人やイギリス人、そして我々日本人の料理人もいます。彼らが彼らの国々で「これだ!」と思う食材や調理方法を駆使してフレンチを独自に昇華させたことが評価されているのです。

 

デイビットさんがこれからアメリカで素晴らしい活躍をされ、寿司・和食の素晴らしさを広めていってくれることと思います。そんな彼を陰ながら応援しつつ、「次のデイビットさん」に出会えることを楽しみにしています。本日も最後までお付き合い頂きありがとうございました🍣